高木ブー「現在」総まとめ|奥さんとの夫婦の絆と名場面

芸人

ザ・ドリフターズの緑の雷様として、長く日本中を笑いで包んできた高木ブーさん。
今夜復活「8時だョ!全員集合」に、特別ゲストとして登場です。
1933年3月8日生まれの92歳。今もその穏やかな笑顔と、優しい声は昔のままです。
今夜の懐かしい映像の前に、現在までの高木ブーさんの近況と奥さんとの優しいエピソードをまとめてみました。

高木ブーの現在|92歳の今も「音楽と笑顔」はそのままに

2023年には、自伝『アロハ90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう』(小学館)を出版。
「100歳まで現役でいたい」と語ったブーさんでしたが、
10歳下の加藤茶さんが同じ目標を掲げたため、
「じゃあ、俺は110歳までやる!」とおどけて笑ったそう。友情という言葉が陳腐に感じるほど
あたたかく深い絆が感じられますね。

そして2024年秋、ライブのリハーサル中にアキレス腱を断裂するアクシデントが。
手術は行わず、ギプス固定でリハビリに励み、わずか1か月で退院。
なんとその3日後にはギタリスト・野村義男さんの還暦ライブにサプライズ出演。

「ステージが僕のリハビリだよ」

自身の音楽活動を表現した言葉です。高木ブーさんは、過去にもアキレス腱を断裂変形性膝関節症を患っています。その言葉には、人生を音楽と共に歩んできたブーさんらしい前向きさがあふれていて素敵ですね。


ドリフターズ時代から変わらない“ブーさんの温かさ”

かつて『8時だョ!全員集合』でお茶の間を沸かせたザ・ドリフターズ。
中でも“雷様”のキャラクターは、緑のアフロにトラ柄パンツという強烈なビジュアルで大人気でした。

いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、志村けんさん――。
共に笑いを作り続けた仲間たちは、ブーさんにとって何よりの宝物です。

志村けんさんの追悼番組で「また会いたいな」とつぶやいた姿、
仲本工事さんの最期の仕事で共演したエピソードには、深い友情と敬意が感じられます。

いつも穏やかで、怒ることのないブーさん。
加藤茶さんは「ブーは本当に怒ったことがない」と語り、
志村さんも「ブーさんがいると現場がやさしくなる」と話していたとか。

その“柔らかい空気”こそが、ドリフの中心を静かに支えていたのです。

奥さんとの夫婦の絆|一目惚れから始まった、真っすぐな愛

ブーさんの人生を語るうえで欠かせないのが、最愛の奥さんの存在。
出会いは若き日のダンスパーティーでした。
スラリとしたスタイルと、モダンな雰囲気を持つ女性にブーさんは一目惚れ。

当時はまだ無名のバンドマン。
奥さんのお母さまには「安定しない仕事の人とは…」と反対されましたが、
お祖母さまの「職業に貴賤はない」という一言で結婚が許され、
1962年に夫婦となりました。

2年後には一人娘のかおるさんが誕生。
生活が苦しい時期、奥さんは洋裁の内職で家計を支え、
ドリフの地方巡業で家を空けがちな夫を、いつも優しく見守っていたそうです。

『全員集合』が終わったあとのブーさんは、
「これからは妻との時間を取り戻そう」と決め、
夫婦で毎朝散歩とラジオ体操を日課にしました。
「他愛もない話ができるのが幸せ」と笑う妻の表情が、今も忘れられないといいます。

しかし、1992年。
妻が体調を崩し、検査の結果、悪性脳腫瘍が見つかりました。
余命5年の宣告を受けたものの、病は急速に進行し、
わずか1年8か月後の1994年3月、58歳の若さで旅立ちます。

「神を恨んだよ。どうしてこんな運命なんだろうって」

奥さんのために建てた新しいバリアフリーの家も間に合いませんでした。
それでもブーさんは、悲しみを抱えながらも「奥さんが喜ぶ生き方を」と決意し、
音楽の道を歩み続けます。

「今でも家の中で妻の気配を感じる。娘も同じなんです。きっと見守ってくれてるんでしょうね」

穏やかにそう話すブーさんの瞳には、確かな愛の記憶が宿っています。


家族との今|娘と孫に囲まれて

最愛の妻を亡くした後、ブーさんを支えたのは娘さんの存在でした。
「婿は一緒に住んでくれる人でなきゃダメ」と話していたほど、
家族を大切にするブーさん。

その願いどおり、娘さんとお婿さん、そして孫との三世代暮らしが実現します。
2004年に孫が誕生したときには、「人生でいちばんうれしかった」と語りました。

「家族4人で食卓を囲む時間が、今の僕のいちばんの幸せ」

いまも穏やかに、家族に囲まれながら過ごす日々。
ウクレレを奏でるその音色にも、やさしい家族のぬくもりが響いています。


ウクレレに込めた人生哲学

15歳の誕生日、兄から贈られたウクレレ。
それがブーさんの人生を変えました。

学生時代にバンドを組み、大学卒業後は会社員の内定を蹴って音楽の道へ。
「ジャズを聴くと身体が自然に動いた」と語るブーさんにとって、
音楽は「生きる喜び」そのものでした。

現在もYouTubeチャンネル【WithBOO】雷様のウクレレレッスンでは若い世代にウクレレを教え、
「音楽に年齢は関係ない」と笑います。

ハワイの文化に深く関わり、「ホアコクア(友を助ける者)」という
ハワイアンネームを贈られたことも。
その名の通り、今も多くの人に“音の癒し”を届けています。


高木ブーの健康と暮らし|元気の秘訣は“よく笑うこと”

70代で膝の手術を2度受けたブーさん。
しかし、驚くほどの回復力で今は痛みもなく、
「医者に“88歳の模範データ”って言われたんですよ」と笑います。

日課は定期的な検査と、家族との食卓。
好物は焼肉と太刀魚。
「よく寝て、よく笑って、よく食べる。それが僕の健康法」と語ります。

穏やかな笑顔の奥には、
「奥さんとの約束を守るように生きる」という静かな決意があるようです。


まとめ|夫婦愛が今も人生の中心に

90歳を過ぎても、ウクレレを抱え、音楽と共に生きる高木ブーさん。
その原動力は、今も胸に生き続ける奥さんへの愛。

「奥さんに恥ずかしくない生き方をしたい。だから今日もウクレレを弾くんだよ」

ブーさんの音色には、夫婦の絆、家族のあたたかさ、
そして“生きることのやさしさ”が込められています。

雷様として笑いを届け、
音楽で人を癒し、
ひとりの夫として愛を貫いている。

――その姿こそ、令和の今も私たちに勇気をくれる、やさしい伝説です。

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